大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成元年(ワ)1285号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 茂手木雄一

被告 日本生命保険相互会社

右代表者代表取締役 川瀬源太郎

右訴訟代理人弁護士 藤井正博

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金二五〇〇万円及びこれに対する平成元年一月五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  甲野太郎(以下「太郎」という。)は、昭和五四年二月二〇日、被告との間で次の生命保険契約を締結した(以下「本件保険契約」という。)。

被保険者 太郎

保険金受取人 原告

保険金額 普通死亡保険金 二五〇〇万円

災害死亡保険金 二五〇〇万円

2  太郎は、昭和六二年一二月二八日午前四時五〇分ころ、茨城県那珂郡那珂町大字飯田二二三九番地の三先道路において、運転中の普通乗用自動車(水戸三三さ一六八〇号、以下「太郎車」という。)を道路中央車線より約七〇センチメートル対向車線に進出させたため、折から時速約六〇キロメートルで対向して来た三村好文(以下「三村」という。)運転の事業用大型貨物自動車(水戸八八あ一〇九二号、以下「三村車」という。)の右側部分に太郎車を衝突させる交通事故を起こし(以下「本件事故」という。)、この事故によりそのころ死亡した。

3  本件保険契約の普通保険約款では、責任開始時以後に発生した不慮の事故による被保険者の死亡は災害死亡保険金の支払事由となるが、死亡事故が被保険者の故意または重大な過失により生じたときは、保険会社は災害死亡保険金を支払わないことが規定されている。

4  原告は、本件事故が太郎の居眠り運転により発生した不慮の事故であるとして、平成元年一月四日までに災害死亡保険金二五〇〇万円の支払を求めたが、被告は、本件事故が太郎の自殺によるものと主張して、その支払を拒絶した。

本件は、原告が被告に右災害死亡保険金二五〇〇万円とこれに対する遅延損害金の支払を求めた事案である。

二  争点

1  本件事故の原因は太郎の居眠り運転によるものかもしくは故意(自殺)によるものか。また、その立証責任は、原告と被告とのいずれにあるか。

2  本件事故が太郎の故意によるものでない場合、事故発生について太郎に重大な過失があるか。

第三争点に対する判断

一  まず本件事故の原因について検討する。

1  本件事故発生の状況に関しては次の事実が認められる。

(1) 本件事故現場は、幅員六・九メートルのアスファルト舗装された平坦な直線道路(通称バードライン)で、見通しは良いが、照明はなく、本件事故当時の午前四時四五分ころは暗かったため、太郎車も三村車もライトをつけて走行していた。また、交通量は極めて閑散であった。

(2) 三村は、衝突地点の手前約四〇メートルの位置で、約八〇メートル前方に対向して進行して来る太郎車を認識した後、そのまま進行し、両車の距離が約二五メートル(衝突地点手前約一三メートル)に近づいた時点で、太郎車がセンターラインを約六〇センチメートル越えて進行して来るのに気付き、衝突の危険を感じてブレーキを踏み、ハンドルを左に切ったが(なお衝突前にはその効果は現れていない。)、太郎車は、そのまま直進し、センターラインを約七〇センチメートル越えて三村車と衝突した。

太郎車は、衝突の衝撃で右前輪がはずれ、進行方向からみて左斜め後方に回転して押し戻され停止したが、スリップ痕は残されていない。また、太郎車には同乗者はなかった。

三村車と太郎車の衝突面は、各前面右前角から約六〇センチメートルの幅であり、衝突角度はほぼ正面からである。

(3) なお、三村車は幅二・四九メートルの大型一〇トントラックであり、太郎車は幅一・七二メートルの普通乗用自動車である。

(4) 衝突直前の両車の速度は、三村車が時速六〇ないし七〇キロメートル、太郎車はこれと同程度かやや速い程度であった(乙五、乙八)。

なお、山崎勝作成の鑑定書及び同人の証人調書は、三村車の速度が時速八〇キロメートル程度、太郎車の速度が時速一〇〇キロメートル以上としているが、司法警察員作成の実況検分調査記載の数値を除けば、一応の推定値に基づいて算定した結果に過ぎず、乙五、乙八に照らし採用できない。

(5) 太郎車は、バードラインを勝田市方面から大宮町方面に向けて進行していたものであるが、この進路の衝突現場に至るまでの間には、S字カーブ(太郎車の進行方向からすると、一旦右に曲がり、またすぐ左に曲がるカーブ)と信号機の設置された交差点があり、このS字カーブの出口から衝突現場までは約五三〇メートル、交差点出口から衝突現場までは約二三〇メートルである。

この信号機は半感応式で、交差する脇道からの交通がなければバードライン進行方面の信号は青のまま点灯するようになっており、本件事故当時の時間帯から太郎車通過当時は青信号であったものと推認される。

太郎車の衝突前の進行速度を仮に時速七〇キロメートルとすると、S字カーブの出口から信号機の設置された交差点を通過するまでの所要時間は約一五秒、さらにそこから衝突現場までの所要時間は約一二秒となる。

以上の事実が認められる。

2  右状況から本件事故原因を検討するに、事故発生の時間帯が未明の午前四時五〇分ころであること、後述するとおり太郎は前夜一一時ころ太郎車を運転して外出したまま帰宅せず、約六時間後に本件事故を生ずるまで外出中であったこと、現場が直線道路であること、未明で道路は暗かったものの、三村車はライトをつけて走行していたから、太郎が通常の状態で運転していた場合には当然三村車に気付くはずであるのに、事故回避措置を取った様子がないことからすると、太郎車がセンターラインを越えて進行した原因としてまず居眠り運転が疑われる。

しかし他方、衝突現場の手前約五三〇メートルにはS字カーブがあり、経験則上、これを通過するにはある程度運転に意識を集中することが要求されるから、太郎がこのカーブを通過した時点では当然覚醒状態にあり、しかもその状態はカーブ通過後もある程度持続したとみられること、さらに、カーブ通過後一〇数秒のうちには前記交差点の信号を認識しうる状態にあり、信号の存在は通常運転者に意識を集中させる効果を与えることからすると、太郎がこの交差点を通過するまでの間に居眠り状態に陥ったと考えるのは困難である。そして、この交差点出口から衝突現場までは距離にして約二三〇メートル、所要時間は一〇数秒であり(太郎車の進行速度を時速七〇キロメートルと仮定)、太郎が三村車を認識しえた地点(三村が太郎車を認識した地点では太郎もまた三村車を認識しえたはずである。)までは距離にして二〇〇メートル足らず、所要時間も一〇秒前後であるが、そのような短時間のうちに覚醒状態から居眠りの状態に移行することは、その可能性を全く否定することはできないとしても、通常は考え難い。

右に照らすと、太郎が覚醒状態のまま本件事故に至った可能性も強く、そうだとすると、先に述べた居眠り運転を疑わせる事情は、同時に、本件事故が太郎の故意により生じたこと、すなわち自殺を疑わせる事情ともいえる。

3  ところで、太郎の資産状況、保険加入状況や本件事故直前の行動について、次の事実が認められる。

(1) 太郎は、生前個人で林業と不動産関係の仕事をしており、死亡直前、約一億三〇〇〇万円程度の資産(自宅建物及び山林の不動産が主なものであり、これには評価額を超える担保権が設定されている。)をはるかに超える約九ないし一〇億円の負債を抱え、少なからぬ債権者から返済を督促されていた。この中には、二億円前後の貸金債権を有するエン・シュウこと茂木正樹を始めとする高利の町金融業者も含まれ、これら金融業者は、生前太郎の自宅をたびたび訪れ、弁済期を過ぎた債務の返済を強く迫っていた。

(2) また、太郎は、昭和六二年一一月三〇日兼松江商株式会社(現商号は兼松株式会社、以下「兼松」という。)から山林七筆を代金一六〇〇万円で買受け、直ちにこれを債権者の一人に転売して移転登記もしたが、代金支払のため兼松に交付した小切手(振出日を同年一二月一〇日とする先付小切手)を決済できず、兼松の担当者から再三支払を督促され、同月二四日にはこの担当者に対し、同月二八日に必ずその支払をする旨確約していた。

(3) その一方で、太郎は、①本件の生命保険のほか、②昭和六〇年三月二三日に同和火災海上保険株式会社との間で保険金額五〇〇〇万円のファミリー積立保険契約を締結し、③次いで昭和六一年一二月二五日に三井生命保険相互会社との間で保険金額一億円(傷害特約一〇〇〇万円)の生命保険契約を締結していたが、本件事故の直前、④昭和六二年一二月一九日に同和火災海上保険株式会社との間で保険金額二〇〇〇万円のファミリー積立保険契約を締結し、⑤同月二五日、住友生命保険相互会社との間で保険金額五〇〇〇万円、災害特約五〇〇〇万円の生命保険契約を締結するため、身体検査を受けるとともに初回保険料四〇数万円を支払い、⑥同月二七日、三井生命保険相互会社との間で保険金額一億五〇〇〇万円の生命保険契約を締結するため、身体検査を受けるとともに初回保険料として一〇〇万円に近い金員を支払った(なお、右⑤及び⑥の保険契約については昭和六三年一月一三日に承諾拒絶がされた。)。また、太郎は、昭和六二年一一月三〇日、同和火災海上保険株式会社との間で、保険金額二四〇〇万円の自動車保険の更新契約を締結している。

(4) 本件事故前日である昭和六二年一二月二七日、太郎は午前中電話をした後外出し、昼過ぎに自宅に戻った後来客があったので応対し、この客を車で水戸駅まで送って夕方帰宅した。帰宅後、太郎は家人から、留守中に横浜の会社の社員が来訪したことを告げられ、電話をした後、家人に横浜へ行く予定である旨を伝えた。太郎はその後外出し、夜八時ころ、三井生命保険相互会社の外交員宅を訪れ、保険料を支払い、夜九時ころ帰宅し、夜一一時ころに再び車を運転して外出した。しかし太郎が横浜に行った形跡も、誰かと会っていた形跡もなく、以後、本件事故発生までの間の太郎の行動は明らかではない。

4  右3の事実によると、太郎は本件事故直前、支払能力をはるかに超える多額の負債をかかえ、高利の町金融業者から返済を強く迫られていたうえ、兼松に一六〇〇万円の債務を本件事故当日に弁済する約束をしていたものの、現実にその支払資金を調達するあてはなかったと推認される。そのように金銭的には極めて窮した状態にありながら、かつ、既に保険金額二億一〇〇〇万円(傷害特約、災害特約分を含む。)もの保険に加入しておりながら、本件事故直前の一〇日の間に、さらに保険金額二億七〇〇〇万円(災害による死亡の場合)にも及ぶ三口の保険に加入する手続を取り、ことに本件事故前夜には、一億五〇〇〇万円の生命保険に加入すべくわざわざ外交員宅まで保険料を持参した太郎の行動は、通常の理解を越えるものであり、また、本件事故に至るまでの約六時間、太郎がわざわざ外出しながら人と会った様子もないというのも不可解である。これらの太郎の行動や置かれた状況は、本件事故が太郎の自招事故(自殺)であることを疑わせるものといえる。

5  以上を総合して判断するに、衝突時の太郎車のセンターラインオーバーの程度が約七〇センチメートル程度で太郎車と三村車の衝突面が約六〇センチメートルに過ぎないことや、そもそも自殺の手段方法として対抗車に自車を衝突させるというのはいささか特異で不確実なものであることを考慮すると、本件事故を太郎の故意による事故(自殺)と断定するのは躊躇されるものの、しかし、なおその疑いを抱かせる状況は少なからずあり、結局、本件事故は、太郎の居眠り運転その他過失により発生したものか、または太郎が故意に招致せしめたものか、いずれとも断定しがたいといわざるをえない。

二  ところで、本件保険契約の約款によると、災害死亡保険金の支払事由は、不慮の事故を直接の原因とした被保険者の死亡とされており、この支払事由の対象となる「不慮の事故」とは、偶発的な外来の事故で、かつ昭和四二年一二月二八日行政管理庁告示第一五二号に定められた分類項目中別表に列挙されたものとされ、分類項目の内容については、「厚生省大臣官房統計調査部編 疾病、傷害及び死因統計分類提要昭和四三年版」(以下「分類提要」という。)によるものとされている。そして、この別表中には、自動車交通事故が含まれている。

他方、右約款によると、被保険者の故意又は重大な過失により支払事由に該当したときには災害死亡保険金を支払わない旨定められており、分類提要において「不慮か故意か決定されない傷害」として分類されるもの(分類番号E九八〇ないし九八九)は別表から除外されているが、この「不慮か故意か決定されない傷害」とは、損傷が不慮の事故か自殺かあるいは他殺か決定されない場合に使用されるとされている。

右約款を合理的に解釈すると、災害死亡保険金については、死亡が「不慮の事故」によるものであること、すなわち被保険者の故意によるものでないことの立証責任はその支払を請求する側にあると解するのが相当である。

三  そうすると、先に述べたとおり、本件事故の原因については、太郎の故意によるもの(自殺)か太郎の居眠り運転その他過失により発生したものかいずれとも断定しがたい以上、災害死亡保険金支払事由の「不慮の事故」による死亡であることの立証がないこととなる。

第四結論

よって、原告の請求は、その余について判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三代川三千代)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例